三宅島 元気ハツラツぅ?

カテゴリ:History of Miyakejim( 4 )

花の絵島が唐糸ならば  たぐりよせたい膝元へ

三宅ゆかりの人物   -その2-


生島 新五郎

  この1日から公開された柴咲コウ・二宮和也主演の映画「大奥」*
島には映画館はないので、映画の出来映えは分かりませんが、よしながふみの原作コミックはなかなか面白そう。
  大奥といえば、2006年仲間由紀恵主演の「大奥」がそうであったように、最大の事件は「江島(絵島)生島事件」。その一方の主役、生島新五郎は三宅島伊ヶ谷に眠っています。


*男子だけを襲う謎の疫病が蔓延し、男女の役割が逆転し、女将軍に大奥三千人の美男が、剣の腕と才覚で出世し、将軍に見初められていく様を描く。
(これも面白そうだが、SMAPの稲垣吾郎が暴虐の限りを尽くす君主を演じたと話題になっている役所広司主演『十三人の刺客』もかなり気になる)


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                           生島新五郎の墓(三宅村伊ヶ谷)


  大奥の大年寄江島(一般には絵島と表記されるが本当の名は江島)は、六代将軍家宣の側室月光院の名代として家宣の墓参のため、正徳4年 (1714年) 芝増上寺へ参詣、帰途に芝居見物、宴会を開いたが、門限に遅れ、不運も重なり大問題に発展してしまう。
  評定所の審理により、江島(絵島)は人気歌舞伎役者生島新五郎との密会を疑われ、裁決は死一等を減じての島流し。生島は三宅島に遠島。最終的に1500名余の人々が処罰される。
 月光院の必死の嘆願により、江島についてはさらに罪一等を減じて信濃の高遠藩お預け=事実上の流罪でとなり、二度と江戸の土を踏むことなく、高遠で28年間幽閉生活を送り、1741年61歳で没する。
  一方、新五郎は、1742年30年近い遠島を許され江戸に戻ったとも、1733年三宅島伊ケ谷で生涯を閉じたともいわれるが真相は不明だ。

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 この事件の成り行きは、諸説いろいろあるが

 ◎次期将軍として紀州徳川家を推す
    譜代大名や五代綱吉により引き上げられた老中秋元喬知らの幕閣 
      & 前将軍家宣の正室 天英院
                      VS
 ◎次期将軍として尾張徳川家を推す
    家宣が引き連れ、幕政を握っていた新井白石・間部詮房らのブレーン
      & 前将軍家宣の側室で 現七代将軍家継の生母であるも月光院

 という幕府内の熾烈な権力闘争が背景になっていることは間違いないようだ。


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  事件の結果、江島が右腕として支えていた月光院の力は押さえ込まれ、1716年徳川家継七代将軍が八歳で没した後、いま公開中の「大奥」の主人公徳川吉宗(暴れん坊将軍)が八代将軍に就任する。

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当時の医療水準を考えても、跡取りの夭逝や女性ばかり何千人集められたにも関わらず、直系がたびたび途絶えてしまう徳川幕府の「大奥」というシステムは何だったのか。
 将軍の寵愛を受けることもなく大奥で生涯を終わらざるを得なかった江島が、仮に歌舞伎役者の追っかけをしたとしても仕方がないような気も。韓流スター等を追っかけているオネー様たちはどう思います?

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        この付近の観光インフォメーションは結構整えられている

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新五郎の墓は、崖地の上から江戸の方向を見つめるように建てられている。
  江島は高遠の「蓮華寺」に葬られ、別々の生涯を不憫に思った人々が、生島の墓の土を高遠に運び、一緒に埋設したいう説もある。
  しかし放免されて新五郎が江戸に戻ったとすればこのお墓は・・・?
歌舞伎や舞台・映画、小説などでいろいろ脚色された話が入り交じって、この事件の真相や顛末は謎の部分が多い。

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『花の絵島が唐糸ならば  たぐりよせたい膝元へ』

新五郎が絵島を偲んで詠んだ歌だという。
とすれば、二人は純愛だったのかも?


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by wamploo | 2010-10-03 13:38 | History of Miyakejim

波乱バンジョーの人生

三宅ゆかりの人物  - その1 -


浅沼 稲次郎

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 1898年(明治31年)三宅島神着村生まれ。
 早稲田大学在学中社会主義運動に参加し、戦争中は軍部に協力するなどの遍歴を経た後、戦後社会党右派書記長、日本社会党委員長などを歴任し、「人間機関車」「ヌマさん」と呼ばれ、30年に渡り住み続けた下町を中心に絶大な人気を誇った。
 1960年10月12日、初めてTV中継された日比谷公会堂での立会演説会で、演説の真っ最中に右翼の少年に刺され、61年間の波乱の生涯を閉じた。

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 今も残る三宅島の質素な生家。都道から村道を登った芝生広場もある児童公園の一角にあるが、場所はかなり分かりにくい。
 三宅島の観光スポット全般的にいえることだが、観光を目玉にしている割には、インフォメーションがいまいち!住んでいる人間には、狭い島で目をつぶっても行ける場所でも、限られた滞在時間の観光客にはもう少し丁寧なナビゲートがあってもいい。

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毎日新聞記者が撮影した有名なテロの瞬間(日本初のピュリツアー受賞の写真。世の中に事実を知らせることを優先すべきか、カメラを犯人に放り投げても人命を助けるべきかジャーナリスト入門の教材の一つともなっている)

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火山ガスの影響により像はかなり変色してしまったが、浅沼氏の現代への想いは、



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日比谷公会堂での最後の「浅沼演説」

 ~略~ 総理は、投資によって生産がふえ、生産がふえれば所得がふえ、所得がふえれば貯蓄がふえ、貯蓄がふえればまた投資がふえる、こういっておるのでありますが、池田総理のいうように、資木主義の経済が循環論法で動いていたら、不景気も、恐慌も、首切りも、賃下げもなくなることになります。しかしながら……しかしながら、どうでしょうか。戦後15年間、この間3回にわたる不景気がきておるのであります。なぜ、そういうことになるかといえば、生産が伸びた割に国民大衆の収入が増加しておらないところで物が売れなくなった結果であります。
 したがってほんとうに経済を伸ばすためには、国民大衆の収入をふやすための社会保障、減税などの政策が積極的に取り入れられたければならぬと思うのであります。 ~その一つは、大企業のみ税金の特別拮置をとっておる、措置法を改正して、大企業からもっとより多く税金なとるべきであると、私どもは主張するのであります。~国民に対しては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。これでは国民はいつまでもだまってはいられないと思います。政治のあり方を正しくする基本はまず政府みずから憲法を守って、きれいな清潔な政治を行なうことであります。そして青少年には希望のある生活を、働きたいものには職場を、お年よりには安定した生活を国が保障するような政策を実行しなければなりません。

 
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 続き~ 略~ 外国の軍隊が二十五年の長きにわたって駐留するということは、日本の国はじまっていらいの不自然なできごとであります。インドのネールは「われわれは外国の基地を好まない。外国の基地が国内にあることは、その心臓部に外国の勢力が入り込んでいるようなことを示すものであって、常にそれは戦争のにおいをただよわす」こういっておるのでありますが、私どももまったく、これと同じ感じに打たれるのであります(拍手)。
 日米安全保障条約は昭和二十六年、対日平和条約が締結された日に調印されたものであります。じらい日本は、アメリカにたいして軍事基地の提供をなし、アメリカは日本に軍隊を駐とんせしめるということになったのであります。
~略~したがいまして日本が完全独立国家になるためには、アメリカ軍隊には帰ってもらう、アメリカの基地を返してもらう、そうして積極的中立政策を行なうことが日本外交の基本でなければならぬと思うのであります。
~    

最後の演説 浅沼暗殺事件動画
http://www.liveleak.com/view?i=344_1228020096

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 浅沼氏が率いた社会党の血筋を引くのは現在の社民党になるのだろうが、政界再編のなかで、旧社会党から民主党に乗り換えた議員も少なくなく、民主党も親戚筋ではある。
 浅沼さんが死の直前まで訴えた日本の完全独立が、それから50年経っても実現されたとはいえず、むしろ米軍への「思いやり予算」などにより、むしろ日本が米軍を自国に帰りにくくしている。
 浅沼さんのDNAも含まれている政権が生まれたのに、沖縄の人々がいくら基地の撤去を訴えても、聞き入れず、あたらしい基地を辺野古につくろうとしている姿を天国の稲次郎さんはどんな想いで見ているんでしょう。

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 その民主党代表に再選されたおらが街の総理-菅さんは、結構期待はずれというか全然期待はずれ。アカン。
 人間より市場の方を信頼すべきと考える前原サンらに支持されて、市民運動家の面影なんかどこにあるのという感じ。

 人々の幸福実現を目的としているはずの経済や財政政策を、一部の富裕層の幸福のために行う市場原理主義は破綻したはずなのに、政権が変わっても、その亡霊が甦ってしまい、なかなかしぶとい。

 カンキチ君は、「強い経済、強い財政、強い社会保障」とか「第一に雇用、第二に雇用、第三に雇用」、「50、いや100ぐらいの特命チームを作る」とかだれかスピーチライターがつくったキャッチコピーを唱えているだけで、何をどうするのか消費税増税以外はまったく見えてこない。

 菅サンがあまりに期待はずれの一方、ダメダメのマスメディア(幹部や記者が長年にわたり政府から官房機密費を貰っていたことは知らんぷりなのに)があまりに小沢叩きに熱心なため、逆に小沢サンを応援したい気にもなる。 が、つい数年前、すでに国民に見放されていた自民党と大連立しようとした人物でもある。個別には菅さんよりいいことをいっているンだけど、ハズレ気味の政治的センスや、さらに一郎クンの政治的野望がどの辺にあるのかさっぱり分からないからなぁ。

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 総理はまだ3ヶ月しかやってないと騒いでましたけど、引き続きあと何ヶ月だか何年だかやることになったんですから、「第一に政権維持、第二に政権維持、第三に政権維持」なんてことにならないように、公約どおり雇用対策くらいはしっかりやってください。
 なにしろ大手企業は、国家予算(一般会計)92兆円の何倍にもなる250兆円とか400兆円とかメチャクチャ貯め込んでいるらしい。新しい事業に投資するわけでもなく、株や有価証券を買ってただひたすら貯め込むだけで、使い道にも困っている。その数パーセントでいいので雇用などに使ってもらってもバチはあたらないはず!そうでなければ半年後に卒業を迎える高校生や大学生など、若い連中があまりにかわいそう!

問題は、国際競争力が低下するとか何とかいって渋る企業や経済界のみなさんに、わが総理がちゃんともの申せるかどうか。
 しかし、「賢人会議」で有名な世界経済フォーラムの先週9日に報道された「2010年版世界競争力報告」によれば、日本の総合順位は6位。
  国際競争力っていったい何者なのか?世界で6番目に強い国なのに、むしろそれが人々の幸福追求を妨げる大きな壁となっているなんて、仕事も満足にないなんてことはアリエナイ!競争力は大丈夫、菅総理がんばろう!



★今日の三宅はほとんど雲もなく、スッキリした空模様。秋を過ぎればこんな天気もこれからそう多くは望めない。連休で渡島してきた観光や帰省のみなさんには絶好の気候のもとゆったりと島を楽しんでいって欲しい。
by wamploo | 2010-09-19 23:54 | History of Miyakejim

150年前の大先輩? -その2-

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 こうした小次郎の功績がとりもつ縁となって、1978年に三宅村と小金井市は友好都市となった。
 噴火による島民避難の際には、小金井の友好協会を中心に島の人々を支援する活動が行われた。
 東は新宿から南は川崎大師まで縄張りとして取り仕切った大親分さんも、自分の行動が120年後にこうした実を実らせるとは予想だにしなかっただろう。

(井戸のほとりにある友好の碑の碑文は、小次郎の(曾?)孫に当る関綾二郎氏(初代小金井市市長)の書)



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小金井村の鎮守である小金井神社には、小次郎が明治13年に奉納したという狛犬がある。(台座には小次郎の本名で「願主 関小治郎」と記されている。)













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 『小金井小次郎伝』(1975.4.2  皆木繁宏 小金井新聞社)によれば台座には、子分198名の名が刻まれているという。とはいっても、この著作のなかでも「現在は相当と欠損があり、判読できないものがある」と書かれている。それからさらに35年の月日が流れており、鳥居の正面左側の狛犬の台座の刻銘は、ほぼ全面的に脱落、右側(写真)も剥がれ落ちる寸前の状況で、小次郎はんも子分はんたちも天空あるいは地の底からお嘆きかも・・・・?






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 島の水問題に貢献した大侠客の墓所は、はけの裾、神社から北西に200mほどの西念寺にある。一族の眠る場所で、彼の墓に隣接して、山岡鉄舟の筆になる追悼碑がそびえ立っており、一目で見つけられるように?なっている。


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  『小金井小次郎伝』(前出)によれば、彼は臨終に際して、子分たちに「この道は俺一代」限りと言い残している。
 確かに彼の子孫は、跡目を継がず、普通の人として正道を歩み、やがて地域の政治的リーダーにもなっていく。しかし、彼の残した小金井一家は肥大化して、子分たちは、地域ごとに分割統治を図り、合従連衡を繰りかえしながら現在まで続いている。彼の墓の外柵には、各局が競って番組を持たせた有名な女性占い師Hとの関係が数年前にマスコミを賑わせた人物もふくめ、一家の組長たちの名前たちが刻まれている。

 小次郎の島での功績は認めつつも、こうした組織の「開祖」という一面も否定はできない。もちろん幕末の侠客・博徒と現在のヤクザはイコールではないだろうし、小次郎の想いとも異なるのかもしれない。また、ヤクザを生み出す社会、ヤクザを必要とし、利用する社会構造等々・・・・いろいろと考えると・・・・。
 どんな環境でもめげず、周囲の人たちや地域にも目配りを忘れなかった小次郎“先輩”。人間的には魅力的で、会えばファンになってしまうような人物だと思うが、それだけに小次郎さんをめぐる悩ましい”ちい散歩”であった。

by wamploo | 2010-05-29 23:38 | History of Miyakejim

150年前の大先輩? -その1-

 多摩に居住歴があり、三宅島にきたものとしては、小金井小次郎という名を忘れてはならない。
 などと、エラソーにいっても、桜の名所で広~い小金井公園が好きで、またオシゴトの関連で玉川上水周辺を廻ることも多かったので、名前だけは知っていたが、正直なところWho are  you? 島への転勤が決まるまでよく知らなかったンですけど。


                    * * * *

 小次郎は、小金井村の庄屋の次男として幕末に生まれた。博打好きで十代前半で勘当され、やがて多摩から神奈川にかけて、千数百人とも三千人ともいわれる子分を抱えた博徒の大親分となった人物である。
 この親分は、1849年(嘉永2年)38歳のときに度重なる賭博開帳の罪(喧嘩という説も)で三宅島遠島となる。

 急峻な山地であるため、沢はあっても、川というほど流れはない三宅島。当然この時代も水不足に悩まされていた。野川や玉川上水、はけ(国分寺崖線)からの湧水など豊かな水に恵まれ、「黄金の井戸」や「黄金に値する豊かな水が湧く」地といことから地名がつけられた小金井から、水不足の三宅島へ流されたのは皮肉な巡り合わせではある。小次郎は、島で水の尊さをはじめて知る。


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           玉川上水(いずれも小金井公園付近)


d0161382_0461255.jpg 彼は、兄弟分の新門辰五郎らの博徒の人脈や自身の資金力も活かし、工事材料を江戸から調達し、島民を雇い、子分にした流人たちを動員して、貯水池(槽)を築造する。
 島の人々は、この貯水池を小次郎井戸又は小金井井戸と呼び、大変感謝した。以後およそ1世紀、簡易水道が設置される昭和四十年ごろまでこの貯水池は利用されたいう。



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                     小次郎井戸(三宅村伊豆)



by Wamploo | 2010-05-25 21:25 | History of Miyakejim



噴火から10年、帰島から5年、火山ガス「噴出ヤメッ!」とは、なかなかならない三宅島に、元気を取り戻してもらえるように、写真を中心に、テキト~に文章まき散らし、テキトーに規則正しく綴っていければと・・・
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