三宅島 元気ハツラツぅ?

150年前の大先輩? -その1-

 多摩に居住歴があり、三宅島にきたものとしては、小金井小次郎という名を忘れてはならない。
 などと、エラソーにいっても、桜の名所で広~い小金井公園が好きで、またオシゴトの関連で玉川上水周辺を廻ることも多かったので、名前だけは知っていたが、正直なところWho are  you? 島への転勤が決まるまでよく知らなかったンですけど。


                    * * * *

 小次郎は、小金井村の庄屋の次男として幕末に生まれた。博打好きで十代前半で勘当され、やがて多摩から神奈川にかけて、千数百人とも三千人ともいわれる子分を抱えた博徒の大親分となった人物である。
 この親分は、1849年(嘉永2年)38歳のときに度重なる賭博開帳の罪(喧嘩という説も)で三宅島遠島となる。

 急峻な山地であるため、沢はあっても、川というほど流れはない三宅島。当然この時代も水不足に悩まされていた。野川や玉川上水、はけ(国分寺崖線)からの湧水など豊かな水に恵まれ、「黄金の井戸」や「黄金に値する豊かな水が湧く」地といことから地名がつけられた小金井から、水不足の三宅島へ流されたのは皮肉な巡り合わせではある。小次郎は、島で水の尊さをはじめて知る。


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           玉川上水(いずれも小金井公園付近)


150年前の大先輩? -その1-_d0161382_0461255.jpg 彼は、兄弟分の新門辰五郎らの博徒の人脈や自身の資金力も活かし、工事材料を江戸から調達し、島民を雇い、子分にした流人たちを動員して、貯水池(槽)を築造する。
 島の人々は、この貯水池を小次郎井戸又は小金井井戸と呼び、大変感謝した。以後およそ1世紀、簡易水道が設置される昭和四十年ごろまでこの貯水池は利用されたいう。



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                     小次郎井戸(三宅村伊豆)



by Wamploo | 2010-05-25 21:25 | History of Miyakejim
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噴火から10年、帰島から5年、火山ガス「噴出ヤメッ!」とは、なかなかならない三宅島に、元気を取り戻してもらえるように、写真を中心に、テキト~に文章まき散らし、テキトーに規則正しく綴っていければと・・・

by Champloo
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